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仙台高等裁判所 昭和58年(ネ)442号 判決

第四四二号事件控訴人、第四九六号事件被控訴人(第一審原告)

小竹元治

右訴訟代理人弁護士

山田忠行

小野寺信一

第四九六号事件控訴人、第四四二号事件被控訴人(第一審被告)

釜石信用金庫

右代表者代表理事

菊地周助

右訴訟代理人弁護士

岡宏

右復代理人弁護士

渡部修

主文

原判決中第四九六号事件控訴人(第四四二号事件被控訴人)敗訴の部分を取消す。

第四四二号事件控訴人(第四九六号事件被控訴人)の右取消部分の請求を棄却する。

右控訴人の控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも右控訴人の負担とする。

事実

第四四二号事件控訴人、第四九六号事件被控訴人(以下単に「控訴人」という)は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。第四四二号事件被控訴人(第四九六号事件控訴人、以下単に「被控訴人」という)は控訴人に対し、原判決の命じた金員のほか、金一六一三万九六六五円及びこれに対する昭和五四年一二月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。被控訴人の控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

被控訴人は、「原判決中被控訴人敗訴の部分を取消す。控訴人の請求を棄却する。控訴人の控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の陳述)

道路拡幅の補償として控訴人が遠野市から一五四六万〇三五二円の支払を受けたことは認める。

(証拠)〈省略〉

理由

一本件口頭弁論の全趣旨に徴すれば、昭和五三年五月頃、被控訴人はその遠野支店を従来の場所から遠野市穀町地内に移したいと考え、適地を物色していたこと、一方控訴人は被控訴人の右意向を知り、控訴人所有の同市穀町一四九番一宅地四八四・六一平方メートルのうち公道に面しこれに続く相当部分(以下この部分を「本件土地」という)を被控訴人に賃貸したいと考えていたこと、控訴人と被控訴人遠野支店の柏木支店長との間に、当時本件土地の貸借を主題とした交渉があつたこと及びその後控訴人は被控訴人に本件土地を賃貸する準備として同地上にあつた住居を引込めたり、従来営業していた衣料品店を閉店する予定で安売りをしたりしたことが認められる。

控訴人は、右の事実を基礎に、被控訴人には信義則上の注意義務違反があつたとして契約締結上の過失理論に基づく損害賠償を請求する。これに対して被控訴人は、本件土地は候補地の一つにすぎなかつたのであり、必要とする面積、権利金、敷金、賃料の額及び期間等につき何一つ約束したことはなかつたから、右の如き法理の適用される余地はないと反論する。

控訴人の主張によつても、両者間に本件土地を目的とする賃貸借契約とかその予約は未成立であつたのであるが、契約締結のための交渉を開始し契約準備段階に入つた者の間では、一般市民間におけるのとは異る関係が生じ、信義則が働くことになるというべきであるから、のちに契約が成立したと否とを問わず、相互に相手方に対し無用の損失を負担させない信義則上の義務が発生し、これに違反して相手方に損害を生ぜしめたときは、契約締結に至らない場合であつてもその賠償義務を課するのが相当である。

そこで、次段においては、両者が契約準備段階に入つていたのか否かの点及び被控訴人に信義則違反があつたのかどうかについて検討する。

二〈証拠〉を総合すれば、以下の各事実を認めることができる。

1  被控訴人は従来訴外菊池壮吉から賃借した建物を遠野支店の店舗としており、昭和五二年八月がその契約更新期となつていたが、手狭な上に家主から賃料増額など種々の要求を受けていたため、前記のとおり他への移転を企図し、契約更新をしないまま同店舗での営業を継続しつつ移転先を物色していた。被控訴人のこのような事情を最初に外部に洩らしたのは遠野市在住の非常勤役員をしていた訴外菊池輝吉であつた。一方控訴人は、当時たまたま家業である前記衣料品店前の国道拡幅工事のため、店舗を二メートルほど引込めるか一部取壊しをしなければならなかつたほか、息子と娘が全員東京方面で就職してしまつて家業を継ぐ者がなくなり、自身も六〇歳を超えていたため、右工事を機会に早晩衣料品店を閉じて土地又は建物の賃料収入で老後を送ろうと考えていたところに、菊池輝吉から被控訴人の前記事情を耳にしたのであつた。このような双方の事情が合致して昭和五三年一月頃控訴人と被控訴人の接触が始まつたのであるが、被控訴人は純粋の部内者ではない菊池輝吉が独走するのを嫌い、できるだけ同人が介入するのを排除して秘密裡に事を運ぼうとして、同支店の柏木支店長に対し自身で交渉するように指示した。被控訴人は土地の買取りを希望したが控訴人には売却の意思がなかつたところから、最初は控訴人が遠野市穀町内の心当りの物件を四つほど被控訴人に紹介し、同支店長がこれら紹介された先の意向を探るなどしたものの、いずれにも隘路があつたので、同支店長は本件土地が最も有望であると考え、控訴人に対し被控訴人からの融資で同地上に間口四間、奥行き一〇間、総二階の鉄筋コンクリート造建物を建築して、被控訴人に賃貸することにしてはどうかと持ちかけたりした。しかし控訴人は金利負担に堪え難いとしてこの計画を断り、結局本件土地の賃貸借という方向で交渉が進められた。

2  もとより同支店長の一存で契約内容を決定できるものではなく、被控訴人本店の理事長ら幹部(以下「本部」という)の意を受けて同支店長は動いていたのであり、また支店の新設や移転には監督官庁の許可が必要であつて、このような許可や本部の決裁なしには契約締結に至りえないことは控訴人としても承知していた。しかしながら控訴人は、同年三月頃から六月頃までの間の同支店長との話し合いの過程で、被控訴人が本件土地として間口四間、奥行き一五間の面積を必要としていること、被控訴人は金融機関としての関係上権利金を支払うことはできないが、敷金額でこの実質的な埋め合せをした例があり、被控訴人の他の支店用地賃借の際は二、三百万円の敷金授受がなされた例があること及び被控訴人の移転計画に合わせるには翌昭和五四年三月末までに本件土地を更地にしておく必要があることなどを知り、更に同支店長から、本件土地隣りの駐車場内に自動車一〇台分の駐車用地の継続借上げが可能かどうかをその所有者に打診するよう依頼されてその内諾をとりつけたり、また昭和五三年秋か初冬に本部の本件土地実地見分が行われてその際に最終決定がなされる予定であると告げられたりするうちに、肝腎の賃料額についてこそ具体的な折衝はなかつたものの、被控訴人の金融機関としての性格上、適正で常識的な金額で妥結され、この点を含めて本件土地の賃貸借契約締結に至るであろうとの強い期待を抱くに至つた。加えて、同年七月頃、未だ前記道路拡張工事に伴う補償金が交付されない時期に、店舗を引込め居宅を切り離す工事に着手しようとした控訴人が被控訴人に対し右工事費用の一部にするための融資を申込んだところ、同月末に二五〇万円の手形貸付がなされ、また同年一一月頃、衣料店廃業による新たな生活設計資金とする趣旨で控訴人が被控訴人に融資を申込んだのに対し、同年一二月中旬本件土地等を共同抵当物件とする六〇〇万円の融資が実行され、そのほか控訴人が同年七月から一一月頃にかけて居宅を引込ませる工事を施工している途中、控訴人から連絡を受けた同支店長が数度にわたり工事の状況視察や居宅後退位置の確認などのため現場に足を運んだことがあつたので、控訴人の前記期待は一層高まつた。

3  同年一二月、被控訴人と前記菊池壮吉との間の従前からの店舗用建物を目的とする賃貸借契約の更新交渉が妥結し、調印までなされ、したがつて当面は本件土地を賃借するということもありえなくなつたが、被控訴人から控訴人に対しこのことに関する告知はなされなかつた。結局両者の交渉は翌五四年二月末に決裂した。

以上のとおり認めることができる。前掲各証人、本人の証言及び供述中右の認定に反する部分は他の証拠に対比して採用し難く、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

これらの事実に基づいて考えると、被控訴人が最初は控訴人からの本件土地賃借だけを考慮していたのでないことは明らかであり、控訴人も右事情及び前記2冒頭記載の事情を承知していたのであるが、昭和五三年四月頃から徐々に両者交渉の焦点が本件土地の貸借に絞られて行き、同年六、七月頃までの間に、未だ建物が建つていた本件土地につき被控訴人が必要とする更地の面積や被控訴人の支店移転計画、即ち本件土地を更地して引渡すべき時期が開示され、更には隣接駐車場の継続借上交渉まで委ねられるに及んで、控訴人が被控訴人との間で本件土地を目的とする賃貸借契約が遠からず締結されるであろうとの強い期待を抱いたのは無理からぬところであり、かくして、控訴人が被控訴人に対し前記工事費用の融資申込をしてこれに応じた貸付を受け、被控訴人が必要とするだけの更地にするため同支店長の見分を受けたりしながら居宅を大幅に後退させる工事をした時点で、両者は同契約の締結準備段階に至つたものと見るべきであり、一方、交渉がこのような段階にまで達した以上は、交渉の一方当事者たる被控訴人は相手方である控訴人の期待を故なく裏切ることのないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務を負うに至つたと解するのを相当とするところ、被控訴人においてそのための努力をしたこと、或いは、控訴人との本件土地賃貸借契約を締結するのについて障害が生じたために契約を締結しえなくなつたとかの事情を認めるべき証拠はないので、被控訴人は右義務に違反して控訴人との契約締結を不可能ならしめた者としての責任を負わなければならないというべきである(仮に、控訴人に対して同支店長の開示した予定契約内容が被控訴人本部の意向や計画よりも先行していていたとしても、現地役員の菊池輝吉の独走、暗躍を抑えようとして、支店長自身で交渉するように指示したことが同支店長に何がしかの焦りないし功名心を抱かせたことも推認するに難くなく、又この点がいずれであれ、総て被控訴人の内部事情にすぎず、判断の対象となるのは柏木支店長の言動だけである。なお、被控訴人が菊池壮吉との間の建物賃貸借契約を更新したことは右の障害事由には当らない。けだし、このような契約更新は考えられないとの前提で控訴人との交渉が進展して来たのであり、しかも更新するか否かは全く被控訴人の自由に選択しうるところであるほか、更新後の解約すら不可能ではないからである。尤も、更新後に解約すれば損害賠償をする必要が生じようが、他方で控訴人との間に前判示の段階まで交渉を進めながら菊池壮吉とも更新交渉をした報いであつて已むをえない結果である。)。

三前段で検討した如く、被控訴人には信義則違反による責任が生じたというべきであるから、以下控訴人の損害について検討する。

控訴人が損害として主張するのは、原判決事実摘示のとおり、(1) 住居移動工事代金八二〇万七〇〇〇円、(2) 店舗後部修理代金三〇〇万円、(3) 店舗応急修理代金二四三万二六六五円、(4) 在庫品安売り損害金二五〇万円、(5) 倉庫取壊損害金五〇万円、合計金一六六三万九六六五円である。〈証拠〉を総合すれば、控訴人は右(1)に関する費用として七八一万四四一六円、(3)に関する費用として二三二万六七九五円をそれぞれ下廻らない金員(これらの金額は右各書証中、主として領収書のみに基づいて算出した金額である)を支出し、(2)に関する費用として三七七万円余を要するとの見積りを受け、(4)に関しても相当額の安売りをなし、(5)についても相当の出費を要することが認められる。しかし、控訴人はもともと道路拡幅工事に関連して建物の後退ないし一部の取壊しをしなければならなかつたのであり、その補償として遠野市から一五四六万〇三五二円の支払を受けたのであるから(この事実は当事者間に争いがない)、右(1)ないし(3)及び(5)に関する支出金の全部を被控訴人の信義則違反に基づく損害であるとするのは正確性を欠くのみならず、道路拡幅のみのために工事をする場合に比して被控訴人に賠償を求めうべき程の出費増大による損害が生じたかも疑問である。また(4)の安売りに関しては、安売りをせずに通常の価格で販売したのであればどの程度の量を売捌くことができたのかが不明であるので、その場合との比較をせずに損害額を算定するのは困難である。元来これらの支出金や安売りによる減収は、控訴人の期待どおりに被控訴人との間で本件土地の賃貸借契約が成立したとしても、その時点で補填される性質のものではない。これらは、いわば控訴人において契約が成立するとの見通しのもとにした先行投資であり、賃貸借期間に支払われる賃料や敷金の運用益により長年月をかけて回収され、回収終了後に利益をもたらす筈のものである。

ところで、右の投資は、被控訴人と所期の契約をしなければ回収しえないものではなく、本件土地を他の者に賃貸したり、控訴人自ら駐車場等の営業をしたり、或いは更地化した本件土地を有利に売却処分して得た代金を運用することによつても回収できるのである。但し、他に新たな賃借人を探したり、自身で営業を開始したりするには、それだけの準備期間が必要である。その期間分だけ投資資金の回収が遅れるわけであり、それが本件の場合における控訴人の損害であるというべきである。

しかし、控訴人はこのような形の損害を主張してはおらず、またそのように主張したとしても、道路拡幅工事の補償金として相当額の補填がなされている関係上、右「投資額」がいかなるほどになるのか算定困難であるから、右準備等にどの程度の期間を想定すべきか一概には言えないことと相俟つて、投資資金の回収遅延による損害額を出すのは本件の場合殆ど不可能に近い。

したがつて、控訴人主張の損害については結局その証明がないことになるので、その請求は全部理由がないというべきである。

四よつて、原判決中控訴人の請求を一部認容した部分を被控訴人の控訴に基づいて取消し、控訴人の右取消部分の請求及び控訴をいずれも棄却することとし、民事訴訟法九六条、八九条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官輪湖公寛 裁判官小林啓二 裁判官木原幹郎)

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